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Like Stripeの中の人、Take4についての紹介です。

Take4について興味を持ってくださって、ありがとうございます。
まずは簡単な自己紹介です。

写真:Take4(タケシ)
Name
Take4(タケシ)
Birthplace
北海道札幌市
Blood Type
O型(初対面の人には8割A型と勘違いされます)
Favorite
クラフトビール、カメラ、音楽、北欧雑貨、カフェ、テレビドラマ、映画、LINEブラウン…etc

目まぐるしく環境が変化していた幼少〜少年時代

北海道札幌市出身と名乗っていますが、正確には旭川市生まれです。

と言っても、旭川で過ごした時間は最初の幼稚園までで、当時の記憶はほとんどないので、札幌市出身と名乗っています(笑)

父がとにかく転勤が多い仕事だったため、幼稚園も3回変わりました。生まれた旭川から札幌に移り、小学校2年生からは神奈川県の横浜市へ移住。

そして、横浜で小学校を卒業してから再び札幌へ。それからはずっと札幌在住です。

転校は、父の仕事の都合なので仕方ないと思いつつも、内心はどこか晴れない気持ちでした。

「どうして、こんなに住む場所を転々としなければいけない?」
「また学校が変わるから、友達も1から作り直しだ…」

でも、この経験があったからこそ、新しい環境に慣れるのが早くなった気がします。

運動よりも漫画や音楽が好きだった10代

写真:漫画のイメージ

小学校時代は、授業で使うノートや教科書に落書きをしていたことがきっかけで、漫画を描くことに夢中になる。

決して絵は上手ではなかったけど、4コマ漫画からストーリーものまで、とにかく思いつくままに描きまくっていました。

今の自分にも通じますが、ハマると、とことんやり続けます。授業中に描いていて、先生に見つかって怒られたくらい。

一方、小学校ではサッカー部、中学校ではバスケットボール部と運動部にも入りましたが、こちらはあまり長続きせず…。

「運動自体は嫌いじゃないけど、自分がやりたいこととは何かが違う…

そんな経験もあって、高校時代は部活にも入らず帰宅部。

さらに、この頃は夢中になれるものがなく、進学校だった影響もあり、勉強してテストでよい点数を取ることが生きがいになっていました。

でも、そんな自分にも違和感を感じていて、ある日、父にねだってエレキギターとアンプを買ってもらう。

音楽を聴くことは元々好きだったけど、ずっとリスナーだった音楽に対して、プレイヤーとして演奏してみたいという欲求が生まれたわけです。

初めてアンプから音を鳴らした瞬間の興奮は今でも忘れられません。

そして、下手くそながらもなんとか練習を続けて、「高校を卒業したら、バンドをやりたい!」と強く思いました。

音楽漬けの日々と挫折

努力の末、地元の名門国立大学に合格するも、大学では面白いと思える講義があまりなく、目標を見失いかける。

そんな中で夢中になれたものは、やはり音楽。

人生初めてのバンドは、大学のクラスメートと組んだバンドで、そこで初めて演奏した曲はTHE BLUE HEARTSの「青空」でした。

その後、方向性の違いからクラスメートとのバンドを脱退し、大学の軽音部に入部。いくつかのバンドを経て、さらに自分の好きな音楽性を追求したくなります。

そこで、大学の外でメンバーを探して活動することを決める。

この頃から、自分で曲も本格的に作り始め、作った曲に歌詞や他の楽器のパートが入っていく楽しみを知る。

音楽性も楽器を始めたばかりの頃はロック系だったのが、当時の音楽仲間の影響で、ジャズ、R&B、ボサノヴァといったジャンルに惹かれていくように。

写真:音楽漬けの頃のTake4
音楽漬けの頃のTake4

そして、当時のバンドメンバーに教えてもらったことがきっかけで、簡単なホームページを作る知識と技術を半分独学で身につける。

理由は、もちろんバンドの宣伝になるホームページを作りたかったから。

さらに、バンドのホームページだけではなく、自分個人のホームページも立ち上げる
(いずれも現在は閉鎖済み、今思うと、だいぶ酷いクオリティです…)

もはや、自分にとっての音楽は、単なる趣味以上の存在になっていて、「音楽で食べていきたい!」という気持ちも芽生えていました。

というか、「自分の作っている曲も評判よいし、いけるだろう」とどこかで思い上がっていました。

しかし、あるバンドに参加したときにメンバーと意見が食い違い、納得がいかないままバンドを脱退。

「どうして自分の意見が通らない?」
「自分は間違っていない!」

とにかく、当時は悔しさと怒りでいっぱいでした。

しかし、今となっては自分の実力と知識が不足していたからだとよくわかります。

それでも、音楽自体を嫌いになったわけではなく、バンド活動から離れたことをきっかけに、憧れていたジャズピアノのレッスンに通い始める。

ピアノ自体初めての体験で不安もありましたが、これが後に生きてくることに。

教える仕事の酸いも甘いも学んだコールセンター時代

写真:コールセンターで働く人

音楽で食べていくことを諦めてからは、たまたま採用されたコールセンターの会社で働くことに。

そして、半年ほどして、電話を取ることに飽き始めた頃、電話を取る人を教える研修担当をやってみないかと誘われ、二つ返事で引き受けました。

「もう電話取るのに飽きてきたし、ラッキー!」

そう思ったのもつかの間、想像以上にやらなければいけないことが多く、正直なめていたことに気づく…。

なぜなら、入社してくる人みんなが、電話で話すのが得意なわけではないし、パソコンの知識があるわけでもありません。

「どうやったら、自分が当たり前だと思っていることをわかってもらえるか?」

必然的にそう考えるようになり、人に教える仕事の大変さと面白さが少しわかりました。

その後も様々な人を教えて現場に送り出すも、すぐに辞めてしまう人も多く、人の入れ替わりの激しさに段々と虚しさを感じ始める。

「これは、ずっといる職場ではないな…」

そう思い、退職の意志を伝えました。

就職活動の挫折と初めての職業訓練校

コールセンターを退職した後は、次の就職先をすぐに探しましたが、経験や知識もたいしたなかったので、就職活動は難航。

今思うと、「自分がこういう仕事をしたい!」という明確なビジョンがあまりなかったことも敗因です。

「失業保険がもらえているうちはよいけど、もらえる期間が切れるまでに、次の仕事が決まっていないとまずい…」

気持ちばかり焦っていました。そんな中、ハローワークに行ったときに、たまたま知ったのが、職業訓練の存在。

通っている間は失業保険ももらえるし、興味や目的に応じて、いろいろなコースが開講されている。さらに、コースによっては、資格も取れる。

「これだ!」

すぐに申し込みをして、試験対策を始めました。
結果は合格

自分が選んだのは、Word、Excel、Power Pointなどの基本が学べるコースでした。

もちろん、Excelなどは前の仕事でも使っていましたが、はっきり言って独学レベルで、使いこなせていませんでした…。

そこで、きちんと覚えれば就職活動にも役立つと考えたわけです。

また、職業訓練校に通った期間は半年ほどでしたが、自分と年の近い人もいれば、年上年下の人もいて、こういった場所に来なければ、出会う機会もなかった人たちと出会えました。

そして、長いようで短い、あっという間の半年が過ぎます。

就職活動の挫折を再び味わい、Webの世界へ方向転換。

職業訓練校を修了した後は、そこで学んだ知識を生かして、Wordなどを教える仕事をしたいと思うように。

しかし、条件に当てはまる求人に片っ端から応募するも、思いのほか、給与面などの待遇がよくない…。

しかも、求人自体もかなり少ないという追い打ち。

「せっかく勉強して、やりたい仕事もはっきりしてきたのに、それでも就職できないのか…」

あきらめと不安の気持ちが生まれていましたが、改めて何を自分の仕事にできそうか考えました。

その結果、バンド時代の経験で簡単なWebサイトを作ることはできたので、これを仕事にできないかと。

「でも、今のままの知識と技術では、仕事にはできない…」

そこで、しっかり勉強してから仕事にしようと思い、当時付き合っていた彼女の紹介でWebクリエイター養成スクールに入学を決意。

元を取ろうと必死だったスクール時代

写真:Webの仕事イメージ

Webクリエイター養成スクールに入校してからは、アルバイトをしながらスクールに通い、知識と技術を身につけるために必死の毎日でした。

「決して安くはない学費を払っているのだから、絶対に元を取ろう」

わからないところは先生を捕まえて、とことん質問し、空いている時間はひたすら手を動かす。かなりガツガツしていました。

こうして知識と技術を手に入れただけではなく、ここでも、こういった場所に来なければ、出会う機会もなかった人たちと出会えました。

さらに、努力の甲斐あって、卒業制作で作ったホームページを大きなホールでプレゼンする機会もいただく。

そして、一通りの基礎を学んで、卒業後にWeb業界の会社へ。

音楽への情熱が再燃するも…

Web業界の会社で働き始めたばかりの頃は、仕事に慣れるまで少し苦労しましたが、それでも比較的残業の少ない会社でした。

でも、プライベートで時間を割いていたのは、続けていたジャズピアノのレッスンくらい。

そんな中、とあるライブを観に行ったことがきっかけで、また音楽活動を再開したいという思いが強くなる。

「しばらく我慢していたけど、やっぱり音楽をやりたい!」

そのときは、年齢的にもプロを目指そうとかの考えはなく、あくまで趣味の延長としてです。

ところが、いざ再開すると、けっこう本気で取り組むようになり、寝る時間も削って作曲と演奏の練習にハマり込む。

当時は、3時間睡眠とかザラで、体力的にはしんどかったけど、会社の仕事では得られない充実感がありました。

そして、数々のライブやレコーディングも経験し、ギタリストとしてだけではなく、ピアニストとしても活動するようになる。

写真:再び音楽漬けの頃のTake4
再び音楽漬けの頃のTake4

しかし、最後に参加したバンドで後味の悪い終わり方をし、もはや人と組んで音楽活動することに魅力を感じなくなる。

「好きでやっているのに、人に左右されるなんて馬鹿げている…」

こうして、再び音楽活動を封印することに。

Web業界の会社を転々とした後に、フリーランスへ。

写真:仕事に没頭するイメージ

音楽から離れた後は、本業のWebの仕事に没頭する日々。

何社か会社を移り、社員の少ない小さな会社から社員の多い大きな会社まで経験する。

最後にいた会社では、周りが実務経験なしのスタッフばかりだったので、教育係としての役目も果たす。

Web業界に入る前のコールセンター時代も、人に教える立場に就いていたこともあり、改めて教える仕事に魅力を感じるようになったのもこのときでした。

しかし、最後にいた会社は気の合う人が多かったけど、体制や仕事内容にはあまり魅力を感じられず。

「このままここにいて、自分は将来どうなりたいんだろうか?」

別の会社に転職することも考えましたが、既にいろいろな会社を見てきたこともあり、これ以上会社で働いても、あまり得るものはないと感じる。

そこで、退職してフリーランスに転身することを決意。今に至る。

現在は、Webサイト制作、ライティングの仕事をメインに、Webクリエイター養成スクールで講師の仕事などもしています。

ここまで、ご覧いただいたように、自分は今に至るまでいろいろ迷って、紆余曲折を経てきました。

でも、そんな自分だからこそ、今人生で迷っている人や悩みを抱えている人の相談に乗ったり、背中を押したりできると思っています。

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